Trans-ラボ Naraの一音楽人が考え、試み続ける対話。
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「個」を超えて
2013-06-15 Sat 17:04
 サッカー日本代表の本田圭佑選手って誰かに似ているなぁ、としばらく考えていたのですが思い出しました。
ドラゴンボールの孫悟飯@成人+短髪+スーパーサイヤ人。


gohan-gold



honda-gold



若干、似てますよね??

ちなみに変身前こんな感じ
ただ、二次元と三次元を往復していると、今度は全く別物に見えてくる不思議。

ともあれ。



ワールドカップ出場を決めた翌日6/6の代表記者会見での彼のことばに、強く打たれていました。

「(コンフェデレーションズ杯、W杯優勝という目標のために日本代表、本田自身に求められるものは)シンプルに言えば‘個’だと思います」

「どうやって自立した選手になって、個を高められるか」



誰よりも早く自立を叫ぶ人ほど、背負わなければならないものの重さを誰よりも早く感じて、それを耐えていると思います。
「個」としての責任と可能性に対する誠意と、挑戦。
残された時間の中で課された自分の成長、自分が作って行く未来への、ギリギリの賭け、約束。

この人に近づいたなら、きっと熱で焼かれてしまう。
温度など通り越してしまったような情熱の高さ。
まるで一つの星が燃えているような。


この人のことばが自分に強く響いてくるのは、「個」という存在を、決して自己愛の中にのみ埋没させていないからだと思います。
ただ一人自分だけが突き抜けていってしまうのではなく、「個」をより強く生きることで、一緒に戦う仲間をも強めようとする。
「個」が持つ意味や強さを塗り替えていきたいという強烈な希求は、自分自身が「個」を独占するためではなく、自分以外の誰かと響き合って、より高く、より深い世界へ分け入っていこうとするからだ。


「個」という概念が、彼の中では宇宙的。
だからきっと、この人はどこまでも飛べるのしょう。
仲間と共に。



かっこいいですね。

リアルスーパーサイヤ人。













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闇が開く温度
2013-06-08 Sat 06:22
 先日、大阪に初めて上陸したDialogue in the Darkに行ってきました。


暗闇の中を歩く。
一切の光と形、色が失われた純度100%の闇の中。
瞳には何も映らないのに、確かに私は何かを見ている。


足先に触れる玉砂利の音、かすかに触れる誰かの指、握りしめた土の匂い。
闇に向かってこらす自分の瞳が、肌が、全く違うベクトルに開かれていくことを感じるのです。



見えないから、色んなことが分かる。
色んなことを思い出し、色んなことに気づく。


暗闇の中では、誰の声にも温度を感じられるということ。
私たちの素肌は、繊細に色んなものを読み取り、記憶し、学び続けているということ。
交わされる言葉が、自分を呼ぶ誰かの声が、静かに心に沁みてくるということ。

「見る」という行為、「触れる」という感覚の意味が逆転し、時に拡大する。
暗闇という非日常の中で覚醒する官能。
自分自身が、うすいうすい皮膚で覆われていて、たったそれ一枚を隔てて世界が自分の外側に開かれていることに気づくのです。



光の中に戻ったとき、その当たり前の温かさが目に沁みた。
同時に、真っ暗闇の世界にも、光の世界で感じるそれとと合わせ鏡になるようなで温かさがあるということを、もう一度思い出しました。







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化学反応で開かれる世界。
2013-05-22 Wed 16:13
 先日、アーティストの西田奈穂美さんとSoraさんと一緒にコラボレーションをする機会があり、奈良は八木の近鉄百貨店の屋上「新甘橿の丘」で、ライブパフォーマンスを行いました。


0505gazou1.jpg

撮影:垣本悠子




八木の近鉄百貨店の屋上に来たのは初めて。
奈良はなだらかな稜線が晴れた日には特に映える場所なのですが、その山の端と空のあわいが綺麗に見晴るかすことができる新しいポイントを見つけることができました。


ところで、コラボレーションについて。
私は、単なる足し算や掛け合わせとは違う、何かが生まれるコラボレーションという現場が好きです。
扱われる手法がどうあれ、異なる者同士が異なる言語を飛び交わせて作りだしている世界観そのものが、時間を追うごとに変化していく様が見えるからです。
言葉の生まれる前段階を共有するのではなく、発せられた言葉を認め、そこから新しい反応を導きだしていくような対話が起こる。
異なるということを限りなく肯定した上で始まる対話が。


時に音が色に変わり、色が音に変わる。
音が踊りになったり、踊りが弾けて色を爆発させたりする。
水が火に転じたり、鉄が銀に成り代わってしまうことも、
もしかしてあるのかもしれない。


呼応とコンタクト、共鳴、葛藤、それらを全部飲み込んで対話は巡り続ける。
時にことばそのものが変容し、もとの形を留めず消えて、どこかに巡り流れて行く。


コラボレーションの豊かさというのは、きっとその「どこか」にある。
「どこか」とは、いくつもの表現が折り重なって立ち現れる新しい世界。

そこに踏み込んだ時、別な地平が開いて私たちは新しい言葉を得ることができる。
それは新しい世界を前にして私たちの内に起こる化学反応。
内と外の交歓の中で生まれる変化が、私はとても好きです。




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はざまに生まれる何か。
2013-05-01 Wed 14:51
 砂場で山をつくる。
山の頂上から、さんざんタイミングを見計らって、水をながす。
そうして思い通りに川が走ったことはなかった、一度も。

でも、それがとっても面白い。

インプロ(即興)で音楽を遊んでみると、小さい頃の泥んこな記憶と一緒に、そんな感覚がよみがえる。


音楽人の特長は、自分の声を自由に扱える術をある程度身につけているということです。
楽器を扱う人間であれば、楽器の声を自分のそれと同じように、
もしくはそれ以上に操る術を身につけていると言えます。

楽器は、自分の生身の声では叶わないことを叶えてくれる時がある。
自分の声よりも高く、低く、優しく、激しく、エトセトラ。
楽器を持つことで私は私を超え、思いもしない声を得る。

そのように一人一人の音楽家が未知の声を内包するとして、彼らが数を増すことでその未知が何層にも重なり合うのだとしたら?
インプロというのは、その未知の重なりを音の響きの中に再現してくれます。
楽譜という拠り所にとらわれることなく、むしろその中で自由に泳ぎ、自分の声や音を仲間のそれに重ねていく。
ただ気が向くままに、音で遊び、そこに生まれる響きを吸って、また音を出す。
これを英語ではJam/ジャムというそうです。

音の一つ一つはプレイヤーの意志と選択のもとに生まれるもの。
プレイヤーの「言葉」の発露。

その言葉は重なることで、偶発的に生まれる音のドラマ、新しい響きを作りだす。
台本に書かれている訳でもない、けれどもドラマは確実に時間と共に動いていく。
時に思っても見ない方向へ。


プレイヤーの意志と、それらの通じない、どうにもコントロールできない偶発的な何かのはざまで、音楽が「生まれる」のだ。
どんな道筋を辿ろうとも、水が流れたならば高い所から低い所へ落ち、新しい川が生まれるように。


だからインプロは面白い。











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私は、選ぶ。
2013-03-30 Sat 23:55
自分が世界に求めているものと、世界が自分に求めているものは、どこまで重なっているのだろう?
どれぐらい同じで、どれぐらい違うのだろう?

音楽を仕事にしていると、色んな切り口と視点でもって「私」という存在を作り分け、必要とされる形を探ることが大事なのだといつも感じます。
より広い世界へよりアクセスしていきたいと望むのであれば、それは尚更のこと。
音楽の意味と形が多種多様になってきているこの世界で、同じ言葉を同じ声音で叫んでいても、誰にも、どこにも届きはしない。



飢えるということを知らずに生まれて育ってきた私でも、10年前、20年前は今よりも色んなものが絶対的に少なかったことは覚えています。
飛び交う言葉と情報、それらに動かされる人間の思考や感情、社会のシステム、あらゆるエネルギーが熱を帯びて加速し、色んな所でショートをおこしている今の世界からは、あの頃が牧歌的に思えるぐらい。



けれどももう今は、世界がもっと鷹揚で、フラットに思えた時代ではなくなった。
なぁなぁでは押し流されてしまう。
油断すればすぐ流れに足をとられてしまうほど、世界の移り変わりが、今はこんなに激しい。


だからこそ、「選ぶ」ということの意味がより強く問われている気がします。
言葉が溢れ、価値観が多様化し、選択肢が増えて、もう混迷を逃れるすべはない現在に、それでもしっかりと自分を生きていくために。


好きなものは好きという。
惹かれるものはどうしようもなく惹かれるのだと、認める。
「私はここにいる」「私はこう生きる」と、声に出す。
勇気をもって。



この余りに複雑な世界を自分の身体で最後まで泳ぎきっていこうとしたら、選ぶべきを選んでいく必要がある。
それも、なるだけ真剣に。
自分の心に響いてくるものを、どんな小さなものでも決して見失わないように。



「選ぶ」という行為は、鮮やかな自我の発露。
私が私であるための宣言であり、この世界を自分の身体で受け止めるという意志なのだと思います。



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